<天皇陛下85歳の誕生日> 「国民に感謝」天皇として最後の会見

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<天皇陛下85歳の誕生日> 「国民に感謝」天皇として最後の会見

天皇陛下は、12月23日、85歳の誕生日を迎えられました。これを前に、天皇として最後となる記者会見に臨み「象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝したい」と述べられました。

天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。来年4月の退位を前に、天皇として最後となる会見で、これまでの歩みを振り返りつつ今の心境を述べられました。

この中で天皇陛下は、象徴として歩んだ歳月や退位までの残された日々について「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います」と述べられました。

続いて、戦後の日本を振り返る中で沖縄の戦争や苦難の歴史に触れ「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と話されました。
そして、時折声を震わせながら「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられました。

続いて、天皇陛下は、阪神・淡路大震災や東日本大震災など平成に起きた数多くの災害を挙げ「多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます」と話されました。

会見の終盤、天皇陛下は、来年4月で結婚して60年になる皇后さまについて「結婚以来、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました」と思いを述べられました。

そして、ひときわ声を震わせながら「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」と述べられました。

天皇陛下は、最後に、来年の春、新しい時代が始まるとしたうえで「天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と話されました。

皇居では、23日、さまざまな祝賀行事とともに一般参賀が行われ、天皇陛下は、皇族方とともに、午前中3回、宮殿のベランダに立ちお祝いを受けられます。

<声を震わせ思いを語る>

今回の記者会見は、天皇陛下の思いがこれまでにないほど強く表れたものとなりました。天皇陛下は誕生日を前にした今月20日、皇居・宮殿の一室で会見に臨まれました。

記者の代表から退位を前にした心境や、国民に伝えたいことを尋ねられた天皇陛下。象徴の務めとして大切にしてきた事柄を1つずつ取り上げ、話題が沖縄の苦難の歴史や先の大戦による犠牲者に及ぶと、声を震わせながら思いを語られました。

天皇陛下は、戦後の平和と繁栄が多くの犠牲と国民の努力によって築かれてきたことを正しく伝えていくことが大切だとする部分では、「正しく」ということばを強く述べられました。

会見の終盤、国民への感謝や、ともに歩んできた皇后さまをねぎらう気持ちを語る時には、込み上げる思いにひときわ声を震わせられました。

これについて、両陛下の側近の1人は「その時々のさまざまな出来事が脳裏に去来し、感じ取られたものを踏まえて、心を込めてお気持ちを話されたのだと思う。国民に伝えるべきことを余すことなく伝えられた会見だったと思う」と話しています。

<天皇陛下の歩み>

昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、戦争が続く中で子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。

戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。一般の家庭からお妃が選ばれたのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、多くの国民から祝福を受けられました。皇后さまと国内外で公務に励むとともに、3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。

昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法のもと、初めて「象徴天皇」として即位されました。

天皇陛下は、翌年の記者会見で「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。

天皇陛下は、皇后さまとともに一貫して戦争の歴史と向き合われてきました。戦後50年を迎えた平成7年には、「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、そして沖縄を訪ねられました。先の大戦で激しい地上戦が行われ20万人以上が犠牲になった沖縄への訪問は、合わせて11回に及びます。

戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。そして戦後70年には、悲願だったパラオのペリリュー島での慰霊も果たされました。

天皇陛下は毎年、8月15日の終戦の日に「全国戦没者追悼式」に臨み、戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられてきました。

天皇陛下は、また、皇后さまとともに全国各地の福祉施設を訪れるなどして、社会で弱い立場にある人たちを思いやられてきました。障害者スポーツにも強い関心を持ち、「全国身体障害者スポーツ大会」が開かれるきっかけを作るとともに、平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。

大きな災害が相次いだ平成の時代。両陛下は被災地に心を寄せ続けられました。始まりは平成3年。雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。

その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、被災した人たちを見舞われてきました。

東日本大震災では、天皇陛下が異例のビデオメッセージで国民に語りかけられるとともに、7週連続で東北3県などを回り、その後も折に触れて被災地を訪ねられました。

国民に寄り添い、世界の平和と人々の幸せを願われてきた天皇陛下。来年4月の退位が決まったあとも、「象徴」としての務めを果たし続けられています。

<世界地図をご覧になる両陛下>

天皇陛下の誕生日に合わせて、天皇皇后両陛下がお住まいの御所で世界地図をご覧になる映像が公開されました。

この世界地図は、両陛下がこれまで訪れた場所にピンで目印をつけているもので、皇太子夫妻として訪れた都市には青色のピンが、天皇皇后として訪問された都市には赤色のピンが、天皇陛下が皇太子として1人で訪問された都市には緑色のピンが立てられています。

天皇陛下は、これまでに58か国を訪れて国際親善などに努められてきました。

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